甘ふわな時間を君と。

いまさら離れることもできずにえぐえぐしてるゆるをたです。自担やジャニーズ以外のこともちまちま書きます。

「学校に行けない…」そんなときに覚えていてほしいことと私の話。

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こんにちは。ふだんはジャニーズ関連のことばかり書いていますが、今回は少し違う話題を。

 

私はツイッターをやっており、毎日飽きずに情緒不安定なツイートばかりを繰り広げています。ぽちぽちタイムラインをパトロールしていると、フォロワーさんのお友達のツイートでひとつ気になるものが。私は直接的な知り合いじゃないのであまり詳しくは書けませんが、明日から夏期講習で学校に通わなければならないことが怖い、といった内容。

 

私はすでに学生というものをとっくに卒業しているので同じ立場ではないんですが、私にも学校に行けない時期がありました。いきなり彼女にメッセージを送るのはさすがにこわがられると思うのでブログの記事にしてみました。きっとその子を勇気付けることは出来ないけれど、いろいろと思い出すことがあったのでこんな記事を書いてみます。

 

ここから先は私の体験談も合わせて書いていきます。気を悪くする方もいるかもしれないので、どうぞお気をつけてお読み下さい。あとめっちゃ長いです。

 

 

 

 

学校に行けない。

学校に行くのがこわい。

きちんと登校している人からすれば、何を甘ったれてるんだと思うかもしれません。私だって行きたくないけどちゃんと登校している、っていう人もいますよね。でもマジで行けない。身体が動かないし気持ちは動かないし、布団から出る行為そのものが出来ない。これが私の場合。

 

学校に行けなくなる理由は人それぞれ。友達のこと、勉強のこと、部活のこと、家の事情などなど。人によっていくつもの理由が存在します。1日、また1日、1週間、1ヶ月。どんどん玄関の扉が重たくなって、親からは行きなさいと言われて行ってみたはいいけど気分が悪くなる…。そういう人もいます。

 

普通に登校している人からすれば、きっと理解できないんだろうなとも思う。でも本当に…ねえ…びっくりするほどつらかったよ…戻りたくはない。当たり前に出来てたことがいつのまにか当たり前に出来ない、って本当にしんどいし自分のことを延々責める。そんなときのお話。

 

 

 

自分を肯定してくれる存在が欲しいのはわがままでもなんでもない

学校に行くことは当たり前。朝起きて登校して勉強して、友達とお喋りして部活して。そう認識してる人が多いからこそ、学校に行けないことが恥ずかしいとか情けないとか、そう思う人が圧倒的に多い。私の場合は父親がそういう人で、ただただ一方的に怒鳴ってくる父に対しては殺意しか抱いていなかった( ´•ω•` )

 

親が分かってないのか忘れてるのか、子供にとっての学校って自分の世界を形成するかなり大きな部分なんですよね。子供にとっては学校が世界。同じ時間を強制的に過ごさなきゃいけないし、まわりと上手くやらないといじめだって起こる。ものすごく狭くて歪な、脆くて壊れやすい世界。だからこそ、明確な理由があってそこに行きたくないっていう結論に達するならそれはヤバイ。さぼりたいだけとかじゃなく、ここがこうでイヤだから行きたくない、ってなったらそれはすでに危ない。そう思わなくちゃいけない。

 

いまはツイッターがあるから、自分の気持ちを吐き出すことはできる。でもたぶん本当に望んでるのはそうじゃなくて、「大丈夫だよ」って言って抱きしめて寄り添ってくれる人。一緒になって「つらいね、がんばったね」って言ってくれる人。学校になかなか行けなくて悩んでいる人はきっと自尊心が恐ろしく低くなってるから、そこを認めてくれる人が欲しいのだと思います。

 

だってしんどいもん。ひとりで悩み続けるのって本当にしんどいもん。自分の中にどうしたらいいかっていう選択肢がないからがんばって考えてみるけど、選択肢がないならそれにたどり着くまでが途方も無い。つらいよね。しんどいよね。でも誰にも言えないって頑張っちゃう。頑張っちゃうから疲れる。以下エンドレス。だからこそ必要なのは、自分を肯定してくれる存在。大丈夫だよ、じゃあどうしよっか、って言ってくれる存在。

 

でもね、忘れちゃいけないのは、最後は自分で決めなきゃいけないってことです。周りの人があなたにあげられるのは選択肢だけで、最後にそれを選ぶかどうかは自分で決めなきゃいけない。共感してもらうだけじゃ状況はなにも変わらないから、そこはきちんと向き合わなきゃいけない。

 

どうしたらいいのか考えてくれる人が欲しいなら、自分からそれを言わなきゃいけない。いますごくつらい、どうしたらいいのかわからない、って伝えなきゃいけない。すべてを汲み取れるほど大人は万能じゃないし、それは友達や知り合いについても同じ。冷たいことを言うようだけど、ツイッターはあくまでツイッターだから、打ち込んだ言葉で励ますことは出来ても、目の前で自分の言葉で励ますことは出来ない人なんてザラにいる。だからこそ、自分の口で、自分の言葉で伝えてほしい。

 

弱いところを見せられないのは強さじゃなくて、ただ自分で自分のいやなところを人に晒さないだけ。それは強さじゃない。たくさん泣いていいし弱音も吐いていいんだよ。弱音は言いたくないとか心配をかけたくないとか、そんなの言ってても誰もあなたの気持ちは分からない。誰でもいいから、できればツイッターじゃなくて近くにいる、物理的にも会える人に話す勇気を持って欲しい。

 

最初は本当に本当に難しいし、自分の中での葛藤がすごいんだけど、自分の口から出す言葉で、すぐ近くで話を聞いてくれる人がいるのってすごく楽になるよ。泣きたい時にタオルを差し出してくれたり抱きしめてくれる人がいるのは本当に楽だし嬉しいよ。もしそこまで進めたらほんの少しは自分を取り巻く状況が変わるかもしれない。結果自分が何かをしないときっと何にも変わらないよ。怖い気持ちもとてもわかるけど、だからこそ、自分で口に出して泣けるうちにたくさん泣いて、お願いだから誰かに頼ることは悪いことじゃないんだって気づいてほしい。

 

 

 

以下、私の話。

恐らく高校2年生くらいのころから、人と関わることがなんとなく出来なくなっていきました。きっかけなんて覚えていないくらい、本当になんとなく。

 

わたしは友達と呼べる人がほぼいなかったし、ひとりでいることが好きなのでそれは気にしていなかったんですけど、まあ私は浮いてるんだろうなあとは思っていました。事実浮いてたし、授業中に2人組を作ってーとか言われたときは毎回ひとり余る人でした。その度に先生に殺意しか持っていなかった。うちのクラスはかなり特殊で女子が8人ほどしかいなかったのですが、偶数だから余ることはないし別に話せないわけじゃないから問題はないんですけど。私から声をかけるなんて自殺行為、こわすぎて絶対に無理でした。そういうヤツです。いじめられていたわけではないんですけど。

 

若干話が脱線しましたが。

高校2年生のころ、だんだん人と話すことや関わること、見られている(と感じる)ことが苦痛になっていきました。幼い頃からなんとなく、私と人との間に見えない厚いガラスの壁のようなものを感じていて、それがはっきりと物理的に見えてしまうようになったんですよね。あれこいつ病んでるな?って思うでしょう?病んでたし病んでるよ。そしてだんだん人との距離を無意識的に空けるようになり、「あ、今日誰とも喋ってないや」という日が増えていきました。

 

最終的には対人恐怖症と鬱病摂食障害の診断を受け、病院に入院しました。もともと平均より少し軽いくらいの体重が半年ほどで10キロ落ちるという超過激な減量を成功させてしまう程度には病んでいました。なんなら自殺未遂も何度かやらかしているので、あまり人に話せるような青春は送っていません。今でこそ普通に接することが出来るようになった家族(特に両親)とも当時はかなり仲が悪く、家の中でさえもベッドだけが心の休まる場所でした。

 

あー死にたいなー。死にたい死にたい死にたい死にたい。車線飛び込んだら死ねるんじゃない?でも痛そうだから睡眠薬とかいろんなお薬まとめて飲んで死ぬか、自分でざくっと切って出血多量で死のう。そしたら知らない人には迷惑かけないで済むなー。死にたい死にたい死にたい死にたい。

 

毎日毎日こんなことばかりを考えていました。生きようなんて考えたこともない。自分が憎くて憎くて消したくてしかたがない。高校生でお金もないから逃げるあてもない。左手は傷だらけで半袖なんて着られない。そんな人。

 

で、ここからは自分の中では笑い話になるんですけど、お弁当食べたりするじゃないですか。ご飯の時間って、仲の良い子がいないとめっちゃ苦痛じゃないですか。でもその苦痛を感じることさえもめんどくさくなっちゃって、事情を知ってくれた先生に教室をひとつ貸してもらって過ごしてました。

 

そしたらびっくりするほど快適。たぶんこれがターニングポイントのひとつで、ひとりでもべつにいいじゃん気にする必要ないじゃんって思えるようになりました。周りの人はヒソヒソ言うかもしれないけど、じゃああなたたちが一緒にご飯食べたり同じ時間を過ごしてくれるの?そうじゃないでしょ?って考えたら本当に快適。ヒソヒソ噂してる人なんて自分にとっては1ミリも役に立たないモブでしかないんだからと思えば本当に快適。いないようなもん。そう考えたら本当に楽になった。

 

そのあと、高校をなんとか卒業してからなんですけど、相変わらず病んでいたために仕事もできず実家でニートしてたんですよ。その間に子猫を飼い始めました。私がずっと家から出ないので、アニマルセラピーとやらの効果を期待して母が猫を飼うと言い出したんですよね。私がずっと家にいるからお世話も出来るでしょってことで。

その結果私にいちばん懐いてくれて、たくさん一緒の時間を過ごしたんですけど、その子に自分のいろいろな思いを話してるうちに泣けるようになって。そりゃなんにもレスは返って来ないけど、じっと私の話を聞いて甘えてきてくれることがとても幸せだったんですよね。バカみたいだなって思われそうだけど、私の病みまくり歪みまくりの話でも、逃げずにそばにいてあたたかさを感じさせてくれることがすごく身に染みてしまって。泣けなくなったはずがまた泣けるようになりました。

 

その子からすればたぶん何言ってんのかよくわかってないからだろうけど、なにかと一緒にいるってことはやっぱり偉大だし大切だなあと思いました。私はすでに実家を出ていますが、帰省するたびにその子に話を聞いてもらってます。

 

だから少なからず病んでいる人たちはとりあえず猫飼おう。んで猫と話そう。

 

 

 

最後に

自分のかなり奥の奥の気持ちの言葉を書き連ねた結果、語彙力がまったく仕事をしなかったので落胆しています。それなりに時間は経っているけど、やっぱり自分の中ではまだ整理がついてない部分も多いのだと思います。ここまで読んで下さった方はいたんでしょうか?ひとまず、文章がぐちゃぐちゃでお目汚し大変失礼致しました。

 

こういうのはもともとの性格にもよると思うけど、まあぶっちゃけて言うと人間なんてそんなに他人のことを見てないよ。でも思ってるよりも見てるよ、ってことです。死んじゃったら元も子もないけど、いま生きてるんならどーにかなるんじゃないかな。ツイッターで伝えられるなら、ちゃんと自分の言葉の使い方はわかってるはず。あとは一歩を踏み出すだけだよ。

 

がんばれゆめちゃん。