甘ふわな時間を君と。

いまさら離れることもできずにえぐえぐしてるゆるをたです。自担やジャニーズ以外のこともちまちま書きます。

映画「こどもつかい」から見る、母子家庭の子育ての闇

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映画「こどもつかい」では、タイトルのとおりストーリーのところどころでこどもに関する話題が出て来ます。そのストーリーから感じたことを書きたいと思います。

 

ネタバレ要素を含みますので、映画の視聴を検討している方やネタバレ嫌いな方は読まずして引き返して頂ければ幸いです。

 

 

 

こどもつかいのざっくりとしたストーリーとしては、子供が失踪した3日後に関わった大人が死んでしまうというもの。失踪したその子供が少なからず恨みを持った相手に対して死を願う(ように唆される、とも言う)というのが最終的な真相として描かれています。

 

ここで焦点を当てたいのは、作品中に出て着たそれぞれの子供の恨みを抱く対象のほとんどが母親からの虐待である、ということ。そしてそれぞれの家庭が母子家庭であることが匂わされていることです。一部例外はありましたが、この作品に父親という存在はいなかったように記憶しています。「あんたなんか産まなきゃよかった」「そこから飛び降りればいい」といったおよそ母親とは思えないような言動や、子供達につけられた不自然な傷跡。それでも健気に母親を呼び、ごめんなさいごめんなさいと叫ぶ子供たち。「あれ…これホラーだよな…?」と思いつつ泣きそうになりました。恐怖的な意味ではなく、普通に見ててつらいやつ。子供の持つ独特の狂ってる感じ、もあるだろうけど。

 

子供の母親に対する信頼だとか愛を求める姿勢は狂ってると言ってもいいほどに真っ直ぐです。ところがいざ「自分は悪くない、いじめてくる母親が憎い」という気持ちに切り替わるとそれは純粋な凶器であり狂気へと姿を変えてしまいます。

 

母子家庭および父子家庭の割合は年々上昇しており、その理由はなんであれ片親の家庭への風当たりはまだまだ強いのが現状です。とくに母子家庭の場合は年収や就業状況も父子家庭よりも低いので、保護手当なしでは生活もままならないという家庭もある状況。がんばってがんばってがんばって働いて生活して子育てをして、幼稚園などに預ける場合はママ友(私はこのママ友という言葉も死ぬほど嫌い)付き合いもあるし…おまけに子供にはそういった状況はまだ理解出来ないので、ぐずることももちろんあると思います。そうなると母親は誰にも頼れないままでどんどんキャパシティが圧迫されていって…となることは想像に難くないですよね。

 

 とまあ話が逸れまくりましたが、ようするに母親ひとりでやるしかない状況をつくりだしている今のこの情勢が、児童虐待のひとつの要因になっていると思うのです。

 

たとえば、ちょっとしたことでも相談できるような機関だったり、なんならご近所さんでもいい。野次馬根性ではなくお互いのことを話せる相手がいるって、本当に心強いですよね。人並みなことしか言えないけど、極限状態で辛い時って人に話すことで多少は楽になる部分があります。金銭的な援助ももちろんだけど、精神的な援助も行うべきなんだろうなと思いました。なかなか難しい部分だと思うんですけど、親が子供を殺すなんいう悲しいことはあってはいけない。

 

文章にしてみるとやはり「あれ…これホラーだよな…?」と思わざるをえないのですが、もしかすると清水監督はそういう社会風刺だったりも描きたかったのでは?と思ったので書き起こしてみました。

 

ただ、「虐待した母親にも事情が〜」っていう意見については悪でしかないと思います。いくら理由があったとしても、逆らうことが出来ずに痛めつけられ、最悪命を落としてしまう虐待という行為は許されるべきものではありません。それがどんな理由であれ、産んだことを後悔しているといったよ 言葉を子供に投げつけるのはマジで頭おかしいしそれは責任転嫁でしかない。自分より弱い立場にいるからって、自分の好き勝手していいわけじゃない。子供の発達中の未完成のからだなんて、一発本気でぶん殴れば普通に死ぬんだからな。あと母子家庭だからっていうのを免罪符に犯罪行為するような人がいるせいで片親家庭への偏見が高まる部分もあるので、もちろんなんでも許しておk!ってわけじゃないぞ!以上。